アロマテラピーのいいところの一つは、香ったことで湧く感情を共有するのが難しい、というところにある。
その香りをどう思うかの自由度がとても高い。
1つの香りを気に入る人もいれば、そうでない人もいる…の比が他の感覚(味覚、視覚など)の比ではない。
またいいと思うにしてもそれをどう感じているのかの感情グラデーションの色幅は広く、言語化しづらいからあいまいで、他人に伝えるのは難しい。
日本香料工業会のサイトには科学的な芳香物質の香りを言葉で説明しているページがあるけれど(おもしろいです)、それで匂いの質は伝わったとしても、それに伴う感情はほぼ伝わらない。
発表会になりにくい、とても個人的な楽しみである。
私はこの個人的であるところが非常にいいと思っている。
自分だけにしかわからない、言語未満の感覚カードの種類をもくもくと増やすこと。
ノートに書いても写真にとってもうそになる、感覚として体で覚えておくほかない、誰とも交換できないカードを増やす作業である。
そしてそれは5分で消える。
(匂いを感じなくなる嗅覚疲労は、約5分で起こります)
運がよくなるコツとか、物事がうまくいくときの共通点としてよく大切だと言われるのが、
目標や社会通念から自由になって目の前にあることに没頭して、楽しむことができる
である。
最近そういう記事を見かけることが増えたのだが、せちがらく縛りのキツイ環境で生きているとけっこうそれを実践するのが難しい…というようなコメントを見るにつけ、そういう人にはまず手軽な練習?というか準備体操のような感じでアロマテラピーを試してみるのがいいのではないかと思った。
もちろん、アロマテラピーにも社会通念や目標のような、選択を縛る要素はある。
香りを試す前から、
- リラックスしたいから鎮静系を選ぶ
- 女性らしさのイメージからお花系を選ぶ
- 先入観から樹脂系を怖がって選ばない
- いつも○○を選ぶからそれを除外する
など、作用の説明に左右されたり、なりたい自分のイメージを先行してそこに嗅覚を寄せていくことなどはある。
物事に辻褄や根拠を求めがちな私も、もちろん上記のすべてをやっている。
(「○○に役立つ精油」って記事をかけば、誰かと良さを分かち合いやすいし)
というか、自分が好きなものが何かわからない人間にとっては、そうやって外にあるものさしを使って「自分に合いそう」なものを選ぶのが日常だからだ。
いつもやっていることを単に精油選びでもしているだけ。
でもきっと「好きな香りを自由に選んでいい」と言われてさえそうしているのだから、ほかの多数の場面でも「何かが好きかどうか」ではない基準で物事を選んでいるのだと思う。
でも実際香りを試してみれば「あ、これじゃない」「これこれ!」はすぐわかる。
人が本当にいい香りと思えるものを選べたとき、「え、私こんなのが好きなんだ」と言いながら作用やイメージがけっこうすぐにどうにでもよくなっていくのをこれまで何度か見た。
洋服なら、好きではなくても着られる(そしてふさわしい)シチュエーションはいくらでもあるから気付きにくいけれど、アロマテラピーみたいに「結局自分しか判断する人がいない」「共有できない」ものは、社会通念や合理性などから手を離すのが比較的簡単で、「やっぱこっちの方がピンとくる」と表明しやすいのだと思う。
何を感じているのかが、外に漏れにくい。
だから安心して「これ好き、いい」を言える。
本当は別に誰もジャッジなんてしないけれど、それを恐れて好きなものを表明しないことが癖になっている人(例:わたし)にとって、すみっこに追いやられて埃をかぶっている自分自身のものさしを取り戻すきっかけになるのだ。
1日に一度ぐらい、ほんとにただ何となく「好きだから」選んでそれに心底ウットリする時間を作りたいなら、アロマテラピーは手軽で、実現しやすい。
運がよくなるのか物事が好転するのかはわからないけれど、「すごく好き」という感情に5分ぐらいみっちりヒタヒタになれるのは、とても幸せなことで、私がはまった理由は結局それなんだろうな、と考えている。